ワット・ガラヤーナミッ
- 絵空事
- Jul 6, 2020
- 3 min read

今回もお寺好きな人の芸術散歩。
もともとは歴史に全く興味を示さない子供時代を過ごした。
図書館ではミイラの図鑑をみたりしてエジプト時代とはどんなものだったのか?とかそういう方向に想像を巡らせて歴史に興味がある風の子供だった。
もともとお寺が好きだったので成長してからは好きなお寺はどのようにして作られたのか?とか気になるようになって過去を調べたりするぐらいだ。

今回訪れたこのお寺【ワット・ガラヤーナミッ】もとても興味深く歴史を知りたくなった。
明らかなどんよりとした黒い重たい雲が迫って来ていてこのお寺を出たら絶対に雨が降ると焦ってみて回っていたし、空もキレイじゃないので写真があまり取れなかったのがとても残念なお寺。(結局雨が降らなかったが非常に蒸し暑く灼熱地獄だった)

このトンブリー地区は多くの福建人やその他中国から移住者が暮らす場所で今でも華僑の人が多く、その一番けんきょなものは中華街だ。
『旧市街』と呼ぶにはふさわしくとても歴史のある建物がまだ残されている地区。時間旅行をしている気分になれる自分の好きな地域。このお寺もそのひとつだ。

もともと寄るつもりもなかったのでなんの予備知識もなく入ったお寺。
なにも知識がないまま一通り見て回った感想は『ワット・ポー』や『ワット・アルン』の様な歴史あるお寺で雰囲気や作りも似ていたのですぐに王族が作ったお寺なんだろうと想像が出来る場所になっていた。あとから正式名を見たが王室寺院を示す名前が付いていた。
※『王族が作った』は自分の思い込みで本当はアユタヤ時代の華僑とその地域の人々が作り上げたものを後にチャクリー王朝第三代国王へ献上したので王室寺院という格付けになっている。

そう、ここは『第二級王室寺院』でありもともとは華僑の大金持ち後のガラヤーニミッ一族が所有する寺院を当時の国王第三代国王へ寄贈した事からこの名前が付いたそうだ。
この一族はもともと中国名であったが、これを機に『ガラヤニミッ』と姓を受ける事となった有名な一族だ。

第三代国王は仏教にとても熱心なお方だったらしく、歴代チャクリー王朝国王の中で一番多くの寺院を建築した国王として知られているお方。
お寺の名前を『ガラヤーニミッ』としたのはタイ語で『友情』『友愛』を示す言葉であり当時の第三代国王は献上者とその地域に住むムスリム、ポルトガル、中国の人々への友愛を示すためと言われている。

トンブリー王朝から現在のチャクリー王朝に移り変わる際に首都もこのトンブリー側から現在のバンコク側に移動した。その際にこのトンブリー側に住んでいた人々の多くも移住をした。この前書いた【サーンジャオ・ギアアンケン】もこの首都大移動の影響で暫くの間放置される事となった。このお寺の原型は歴史をさかのぼるにアユタヤ時代:350年近く前の西暦1672年に建立されているが、現在でもその絢爛さを讃えられている黄金で巨大な仏様が鎮座する寺院。それからタイ国内で一番大きい鐘があるお寺としても有名だそうだ。

過去をしるとそのものの理解が深まり、素敵な暖かい名前の付いたお寺だと思いほっこりしてしまった。
もちろんみなさんの無病息災もお祈り忘れずにしてきました。
●最寄り:ワットアルン(徒歩10分以内)、サパーンプッ(緑の鉄橋)徒歩10分。
ICON SIAM までもタクシーで10分以内で行ける。
●最寄駅:MRTイッサラパープ駅:徒歩では行けないのでタクシーで10分以内。
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