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魂のよりどころ

何度も何度も言っているが、タイは自由の国である。


宗教の信仰も自由である。全国に色々な宗教があり、お互いがお互いに干渉しない様に共存をしている。場所によってはお寺とモスクが隣接していても仲良く共存をしている。



以前にも少し触れたが、何かの宗教を信仰していることが極普通の事であり、逆に自分の様に無宗教なのはとても不自然で、信じられないという見方になる。


宗教が当たり前な世の中なので、占いや超常現象的な事柄が信じられている事も多々ある。

多くの人に信じられている一般的なものを挙げると【幽霊】だ。


こちらでは心霊ホラー映画が一年中製作され毎年の如く放映されている。信じている人もいるし、そうでない人もいるが、多くの人が幽霊を恐れているので心霊ホラー映画はいつも人気で毎年の様に製作されている。


それから毎週霊能者の人が事件現場などに行ったり、霊体験をした事がある家族などがスタジオに来て、霊能者がその霊と話をする、という番組は廃れる事無くずっと続いている。



占い師も意外と身近な存在であり、運勢を見て名前が良くないなど言われれば平気で名前を変更してしまう人も多いと言っても過言ではない。


そんな中、自分は幸運にもとある霊媒師の人が引退をするので、その後継ぎを探し、能力を移すという儀式の会に参加が出来たのでそれについて触れたい。


タイには霊媒師を信じている人は多くいる。ただ、信じている人の中でも偽者の霊媒師は沢山いるだろいう、という事も認めている。本当の霊媒師を探すのは大変な事だ、という事も良く分かっていて良識のある人も沢山いる。



タイの悪徳霊媒師の中には薬やアルコールの中毒で気を逸してしまっている人もいる。はたまたデタラメをとにかく並べてお金を騙し取ろうとする人もいる。

霊媒師は基本お金の話はしない、ただ霊媒師を訪れる人が自主的に金額を決めて封筒に入れお供えをする。金額はその人がどれだけ有名かどうかなどばらつきがある。

万単位の人もいるし、千単位の人もいる。


タイで霊媒師の人に出会ったのは3人だけだ。2人は善良な人であり、もう一人は信用できない大嘘つきにしか見えなかった。


ひとりは友人の父親で、彼は特に職業として霊媒師をしていないが、仏教に関わる行事などがあると精霊が彼に宿るのである。

精霊が宿っている間は不可思議な言葉を発していて、体が極端に震えている。

特にお告げをする事はないが、みなが常に幸福で健康である様に見守っていく、という事を言ってくれている。善良な人から出てくる前向きなお告げである。



もうひとりは別の友人のおじいさんの家の親戚である。こちらも職業としておらず、行事の折に触れ精霊が宿り、色々なお告げ、忠告をしてくれる存在である。


こちらの儀式は2日ほど続き、お寺からお坊さんも来るし、精霊が宿る時にはお酒を飲んだりもする。気つけの様な感じだ。


お酒を飲んでわいわい騒ぐとかではなく、儀式の一環として飲んでいる。タイのラム酒をボトルごと持ち上げて飲んでいる。しかも60代の女性ばかりである。高齢の女性たちがそれだけのお酒を飲み、儀式の為の祈りや踊り、激しく動き回ってるが酔っているという様子は全くないがトランス状態になっているのが見て分かる。



儀式が終わるまでに相当量のお酒を飲んでいるが、儀式が終わるとけろっとして片づけをし、着替え何事も無かったかのように帰っていくので不思議である。あれだの量のお酒を飲んだらフラフラになってもおかしくないが、そんなそぶりが一切ない。


彼ら曰く、精霊が宿っている間は彼らではないので、体もなにも受け付けていないそうだ。なので酔う事はないそうだ。ただ、精霊や霊が宿ったあとというのはとても疲れるそうだ。



自分はその場で2日間、信じる、信じないを別として観察をしていた。彼らは人を騙す為にそれをしている事は全く無いのでそこには【嘘】が存在していなかった。目の前で起きている事は全てが真実であり、彼らは真剣にその儀式を行っていた。


自分は彼らの親戚と一緒にバンコクから訪れていた。彼らも霊媒師の事は全く信じていないし、興味がない他人事であった。この儀式を見に来るという目的もあったが田舎でのんびりしようという目的の方が強かった。



もう一人遠い親戚の女性が来ていた。儀式の最中に次の霊媒師として選ばれてしまい、いやいやながらも儀式に参加をしていた。都会育ちなのでこういった古い風習を信じていないタイプの人だった。儀式に関しても身内で行われているものなので殆んどの人がなにをどうするかも知らないものであった。


この女性、いやいやながら参加しましたがいつの間にかトランス状態に陥り、日本語でいう【座敷わらし】が彼女に宿ったのだ。タイでは子供の精霊として拝まれているものだ。

言葉も子供の言葉にかわりおもちゃなどで遊んでいた。


その豹変振りを見たバンコクからの親戚たちは近くにより目の前で起きているこの事実を事実として受け入れる様になった。当初は全く信じていなかったが、最後は驚きと共にこの事実を受け入れていた。



当の座敷わらしが宿った彼女はトランス状態の時の記憶が全くなかったし、お酒も飲んでいたがろれつは普通であり、お酒の匂いも全然しない状態であった。

2日目も彼女は儀式に参加をしなくてはいけなかったが、精霊が宿ると非常に疲れるし、儀式自体も色々とあるので、参加をしたくない、と拒否をしていたが最後は参加をして再び座敷わらしが宿る事となった。


初日の儀式の後皆目の前で起きた出来事を話し合っていた。皆統一している事として、目の前で起きていた事は全てが真実であるという意見であった。

今まで全く信じていなかったが、今回の出来事は皆信じていた。



この2人の霊媒師の大前提として、『人を騙す』という事がないので傍観者の警戒心もなくなり、まっすぐに起きている現象を見ることが出来たというのも大いにあるだろう。


信仰心が手伝い精霊が宿った錯覚になるのか、実際に精霊が宿っているのかは定かではないが、張本人も嘘をついている訳でもなく、誰かを騙すつもりも全く無いのが明らかである。

自分の目の前にトランス状態な人がいたのを目撃した、という事実があるだけだ。



心霊現象や超常現象には全く縁がない自分なので何か奇妙なものを見ることも無ければ、襲われる事もない平和な人生を過ごしている。


今回書いた霊媒師の人達は見世物小屋の芸人ではなく、ある意味で古い文化を継承する義務を持ってそれを遂行している人達に思えた。宗教と文化とはとても興味深く奥が深い想像を超えたものであると再度実感をした。


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