ナコーンパトム:サームプラーン寺
- 絵空事
- Jul 18, 2019
- 5 min read
Updated: Oct 7, 2020
前々からずっと一押しのナコーンパトム県再びだ。個人の嗜好があるのでいつも通り自分個人の視点で。

バンコクからすぐなのにも関わらずナコーンパトムで出会って話をする人達はみんな都会擦れを全くしておらず良い意味で昔の古き良きタイ人の人たちだ。
もともと人ごみが苦手で、騒々しい所も苦手なのでこういった郊外に来ると本当に落ち着く。それから変わったものもとても興味があるのでそういう場所を見つけては行くようにしている。機会さえあればの話だが。

今回は前々から気になっていたが行っていなかったお寺に行けたのでそこについて。

朝6時50分にバンコク中心地を出て高速にも乗らず7時半前には着いてしまったこのサームプラーン寺。場所はもう本当にバンコクとの境なのですぐ近くと言える。
朝早くに起きて郊外に出るのはとても清清しく、気分的にも空気が違うと思えてしまう。バンコクからすぐと行ってもここはナコーンパトムなので緑いっぱいの場所でもあるので到着したばかりの時はまだ涼しめであった。

朝早かったのでちょうと地元の住民の人や、真面目にお参りをしに来た人達がござを敷いてお坊さんに献上する朝ごはんを持ってお坊さんが出てくるのを待っているところだったので、昔ながらのタイ仏教の風習を垣間見ることが出来た。

何も知識なく行っていたので、ドラゴンタワーに入ろうと思っていたが、その唐の周りをお坊さんがちょうど巡るので、境内の他の場所の散策をして待つ事にした。

敷地はなかなか広く歩きがいがある場所である。少し管理がされている森というか庭というか、ちょっとしたテーマパーク風にもなっているお寺だ。
ナコーンパトムやサムットプラカーンなどの工場が多い地域はミャンマー人の人も多く、このお寺にはミャンマー信者の人も良く訪れてはお布施をする為、境内の看板はタイ語とミャンマー語になっていた。それからその朝はミャンマー人の人達のタンブン行事が催されていた。ミャンマーの女性たちはお寺に入る際は正装をしていていつも素敵だ。
塔に登るのを待っている間にプラプラとしてその先々で朝のお掃除をしている尼さん達に会って会話をしたりした。みな会話上手であり、タンブン誘い上手な尼さんたちでした。

ひとつ初めて見た仏様がおられたのでそれも特筆しておきたい。うつむいてお祈りをしている仏様がおられた。他のお寺ではそうそう見れない貴重な体制をとっている仏様だった。

そのままプラプラとしながら再び尼さんとおしゃべり。
尼さんがエレベーターが壊れてしまっているし、エアコンもないから少し大変だけど頑張って塔に登ってね、と言っていて、さっきも書いた様に自分は知識なく行っていた為エレベーターなくても階段あるし、扇風機もあるから大丈夫と勝手に思っていた。


塔の扉は朝8時に開く。それと同時に多くのミャンマー人やタイ人のひとたちが吸い込まれる様に入っていく。こちらも尼さんとおしゃべりの後に何事もなく入っていった。

確かにエレベーターは2台あったが故障中となっていた。きっとお布施や寄付金が集まらない限りは修理は出来ないだろうと判断を勝手にした。エレベーターを買いなおすにも100万バーツ単位のお金が動くので、まだまだ先の話だろうと思う。
と考えながらいざ扉の中に入るとそれはなんとトンネル。トンネルというか直径5メートル程度のコンクリートのチューブの中をひたすらにグルグルと上る。ふと分かったが、これは塔に巻きついている龍の体の中を登っているのだ!と(今更)。

上り始めは何も考えていなかった。扇風機もあって、電灯も充分明るいが中は少しひんやりしていた。登り始めて今更にまた気づいたことがあったのだが自分は閉所恐怖症なのだった。
この永遠と続くかも知れないトンネルをずっと歩いて行くにはもう自分には無理かも知れない!もっと登らなくてはならないなら、自分はもう下りる!とパニックになりつつも一緒に行った友人の励ましで我に返りなんとか屋上まで辿り着いた。

と、上ってしまえはあっと言う間だったのでギリギリ大丈夫な距離でもあった。徒歩5分程度のグルグル上り坂。パニックに陥ると時間の感覚も平常心もなくなるので、登りつめて出た屋上はそれはそれはまさに登山中毒の人の登頂成功の喜びに近い大げさぶりであった。
屋上はすがすがしい風が吹き抜けていて大勢の参拝者の人達でにぎわっていたし、みな登ってきた疲れも全く見えない雰囲気だった。きっとこの爽快感で回復しているんだろうと勝手な妄想。

屋上に鎮座している仏様に蓮の花のお供えをして、お賽銭をして、暫し景色を楽しんで充分休憩してから下りた。下りの時はすぐ着けるから大丈夫と自分に言い聞かせて下りたのでパニックにはならずに済んだが、登山の下山と同じで下りの方が足にこたえるものだった。

もともと通路として作っていたものではない筈なのでコンクリート剥き出しの床の所々はごつごつしていたり鉄筋がすこしだけ顔を出しているところもあったので、厚手の靴下を用意しておくか、靴が汚れたくない人は代えの靴下を用意しておこう。面の皮が厚い自分はそのまま素足で気をつけながら歩いたので大丈夫だった。

いつもいつも書いているが、どこかへ行く場合、朝から入れる場所があれば朝早くから頑張って行くべきであり、このお寺はまさに朝からいってちょうど良いお寺だった。ほんの少しだけ尼さんのお寺の窓の開放のお手伝いをしたりしておしゃべりも楽しめた。
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