タイ仏教行事
- 絵空事
- Nov 6, 2018
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Updated: Dec 11, 2018
インドから伝わった宗教が土着文化と混ざり合い色々な文化を作り上げているタイ仏教。
東アジアと違い中国を経由せず直接インド、スリランカから伝わって来ているので色々と違う点がある。

宗教の事に触れつつも主に行事や人について書く。
自分は色々と機会があり年に2,3度大きな行事に参加をする。今回も毎年の如く今回もトーガティンに参加をした。今回はスパンブリー県にあるお寺の行事に参加をした。
雨期明けの11月にタイのあちこちでこの仏教行事が行われる。
徳を積むために1年中いつでも出来るがこの11月が1年の中で一番目立つお布施の時期となる。
とももとの風習でこの次期にお坊さんの袈裟を献上したりお寺の修復のお手伝いをしていた事が始まりのようだ。

近年の風習では修理を手伝うのではなくお金を出してお寺の修繕費、またはお坊さんの諸事情に使えるようにお布施をする様になっている。それから袈裟の献上風習通りに行われている。今回参加したお寺では大量の袈裟が献上されていた。
修繕費用としてお布施も大切である。絢爛豪華なお寺が多いので修繕に当たり、職人さんを呼び修理をするのはお金の掛かることである。
こちらでは多くの人がお金の話をするし、政治の話も堂々とする人がいる。
そのせいかお布施の金額も堂々とマイクを通して金額を公開していまっている。スピーカーも大きくお寺の外まで充分聞こえてしまうボリュームでもある。

中には見た目を気にしてこの日の為に沢山の寄付を集めておき、お布施をする際に金額を公開されても恥じないで済むと考える人もいる。結果としてお布施をしているので決して悪い事ではないが、やはり人は人、他の人から好く見られたいのは自然の事であるので、誰もそれを咎めない。
お布施金の公開の時は音楽隊が楽器をならしてにぎやかな時間となる。

お布施は封筒に入れてお坊さんの前におかれるが、それを回収して数える会計係がいる。最後に最終的に幾らお布施金が募ったかの発表もされる。
※余談でお布施をする、という言葉はタムブンという直接的なタイ語以外にも《封筒に入れる》(サイ・ソーン)と呼ぶ。ご祝儀や賄賂も相手に渡す時に封筒にお金を入れる、という動作から来ている。
タムブンと言うと『良い行いをする』という広い意味になるので、サイ・ソーンというとお金を寄付するというような比喩になるのである。
以前にお寺は宝くじの数字を探しに行く所という話をしたが、この行事も例外ではない。大々的に発表される金額の下3桁2桁を拾い出しそれを元に宝くじを買う人もいるのである。

この行事のお布施のずっと前から市場や、屋台その他の場所でもバケツに竹串が挿してあってそこにお金が挟まっているのを見た事がある人がいると思うがそれはこの11月の行事に使われるのである。セブンイレブンにおいてある場合もあるので、旅行中に見かける事があるかも知れない。

何度もこの言葉を使っているがタイは自由の国である。
お坊さんがお経を唱えていようとなんだろうとおしゃべりをしている人が沢山いる。本当は良い事ではないが皆寛容である。
お葬式でもどんな儀式の最中でもおしゃべりをしているのは変わらない。中には高々といびきを搔いて寝ている人もたまにだが見かけることがある位だ。
座り方もあぐらをかいても、正座でもお姉さん座りでも問題ない。ただ基本はお坊さんがお経を唱えている間は両手を合わせて合唱をしているべきである。それからこちらの正座はお姉さん座りである。合唱をして拝みながらおしゃべりもしている。
小さな子供をじっとさせる為に子供たちは携帯でゲームをしたりしている。昔の人達が見たらきっと嘆かわしい光景なんだろうと思うが、現代では子供たちに厳しくし過ぎる事が出来ない世の中になっているのも間違いない。

無宗教の人には理解しがたいが何かの宗教を信仰していて、その信仰の場所に行ってお祈りをするという事はとても清清しく心が晴れることもあるので、お寺に来ている人達は一様に晴れ晴れしい表情をしている。大きな行事なので離れていた家族が集う機会でもあるので皆笑顔である。

今回参加した会では式場はバナナの木で飾られていた。タイのありとあらゆるバナナの品種で装飾されていたのでとても興味深かった。儀式が終わったあとはバナナは持ち帰り可能であるが、地元の人は自分の家の庭先でも手に入るので誰も持ち帰って行かなかった。

バナナはタイのどこにでもあるので(都市部を除く)、日本語のことわざの『朝飯前』の様にバナナを例えにして『余りにも簡単な事』とうい表現をする。バナナはタイ語でクルァイと言う、このことわざはとても簡単で《クルァイクルァイ》と言う。
離乳食でもバナナを使っている。
なので大自然の中に住んでいる人達の中にはバナナにうんざりしている人もいる。自分や友人たちの多くはバンコクから来ているのでかなり沢山のバナナとココナッツを持って帰ってきた。

友人の一人は大自然出身でまだまだ栄えていない時代に食べ物に困ったときは常にバナナで乗り越えてきた苦い経験をして来たので、もうバナナはうんざりと言っていたのを覚えている。
もちろんバンコクでも買えるが、これはお寺でお供えものとされた徳が積まれたものなのでそれを持ち帰り自身で食す以外に持ち帰った先の人々に配ることで得てきた徳を皆に分配出来るのである。
自分もバナナの木ごと1本をタクシーに乗せて帰ってきた。もしろん全部配って徳の分配をした。
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