食事文化
- 絵空事
- Jul 25, 2019
- 4 min read
Updated: Oct 1, 2020

どうでも良い話ではあるが、今回が記念すべき90回目の東南亜細亜見聞録となる。
今まで仕事に忙殺されて全然掛けなかったり、ネタが思いつかなかったりしたが、今回無事90回突破となった。
タイ語で9はガーオ。タイ語で前進するもガーオ。全く同じ発音だが綴りが変わる。
縁起を担いで、90回目は記念すべき回として書いておきたい(完全な私事)。
ずっと旅行ネタが多かったので今回は『事情』ネタにしたい。

普段日常的にしている事なので当たり前になってしまっている事が殆んどだと思う。そのなかでもしかすると違うことがあるかも知れない事もあるのでそれを書いていく。
どの国でも地域や家族によって文化が違うので一概にその国の文化とも言えないが現在自分が毎日している事は、自分の育ってきた場所ではしていなかった事が多いとも言える。

今回はそのうちのひとつの食事文化に関して。
以前にも少し触れた事があるが、現代のタイ語の挨拶の言葉は『サワッディー』であるが、これか近代に入ってから使われ始めたものなので会った瞬間もサワッディーで、別れ際もサワッディーになる。ハワイのアロハーと同じ。
もともとは挨拶言葉は『元気?』と聞く言葉でもなかった。もともと使われていたのは『もうご飯食べた?』が出会い頭の挨拶コトバだった。
その昔の人情文化が滲み出て結晶となった言葉だと勝手に考えている。食事は生きる糧であり、腹が減っては戦は出来ぬ、仕事にも力が出ないものであるので相手への労りが伝わる挨拶言葉だと感じる。

(例文)
マニー:もうご飯食べた?
トン:まだ食べてない。ここの所調子が悪くて。。。
マニー:え?具合悪いの?
トン:実はそうなんだ。
という風に会話がどんどん広がって行き相手の事を知ること、気に掛けることが出来る出だし言葉になる。
それぐらい食事とは生きるうえで大切な事だと思っているので、前振りは長くなったが、食事文化について以前書いた内容とはまた別題材で。

郊外や田舎を旅行していて、道端で食事をしている人達がいる。または隣の家の人が家の前で食事をしている人達がいて、その前を通り過ぎる時に目が合うとすかさず
『キンカーオ!』
と言われる事がある。
例えあなたの友人、知り合いでなくても目が合うとこの言葉が飛んでくる。
キンは食べる。カーオはご飯。
ご飯を食べてるよ!って言っているのではなく、『ご飯一緒に食べよう』という意味になっている。
この事情を直訳すると見ず知らずの人でもご飯に招待しているという事になる。近年はタイ人同士であれば知らない人の食卓の団欒にいきなり参加する事はない。
田舎はまだまだこういう昔の文化が残っているのでこういう声かけを受ける事がある。
外国人はそんな事知らないので、誘われるなら断るのも失礼なので飛び入り参加をしてしまう人もいるだろう。

それはそれで楽しい団欒になるので受け入れ側も外国人を食事となって楽しんでくれるだろう。ある意味で『ただ飯』になるので食べた後近所に果物かなにか売っていれば御礼にお返しするのがいいと個人的な意見。まあ勝手に誘われただけなのでお礼の必要はないとも思うが。一応人としての礼儀も大切。
もし旅行ではなくて住んでいるならそれがきっかけで近所付き合いが始まることもある。
自分はよく近所をぶらぶらしている事が多かったりいつも同じ屋台で食べている事が多かったので、そのお誘いを受けて一緒に食べたりしているうちに親しくなり10年以上のお付き合いを今でもしている。

家族の団欒の場合でも、友達同士でも、職場の仲間同士でもひとつの食卓を囲む場合は、個人それぞれで1品、2品を持ち寄りみんなで少しずつ食べる事が多い。
1品50バーツで5人集まれば5品をみんなで分けて食べれるのでお得感あり。
誰かの家に行く時にお土産感覚でおいしいお店のおかずを持っていくのもなかなか粋なものだ。そのお昼や夕方に一緒に食べたり出来るものだからだ。
決して高いものだから喜ばれるというよりもおいしいものを食べて誰かにも食べて欲しいという気持ちを汲んでもらえる。

余り親しくない友達同士、職場の仲間同士で食べる場合は同じおかずをつつきあうのでそれぞれのおかずの器に別のスプーンがある場合もある。
親しい場合はそいう分け隔てがなくみなそれぞれのスプーンでつつき合って食べる。
ただ、誰かが何かの伝染病、風邪などの場合は別のスプーンを用意して伝染防止をして一緒のおかずを分け合って食べる。

一度に色々なおかずを味わえるすごい方法と個人的に思い素敵な食事文化である。
これがどこかの誰かと同じなのか違うのかは分からないが、自分が育った地域ではあまりなかった事だったので面白い違いとして書いた。
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