人種差別
- 絵空事
- Oct 13, 2018
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Updated: Oct 1, 2020
人種差別と書くと重たい題材である。でも実はこれは切っても切り離せない事である。
あくまで自分の個人の考えをもとに書いているのでこれが事実かどうかは別の話。

これは全世界共通であると思うが、自分自身が作り出している見えないバリケードがある。最終的に自分自身で作り出してしまっているが、元を正せばその人の両親やその周りの人の言葉を幼少時から受けそれが潜在意識の中に取り込まれその人が形成されている、というのも過言ではない。
幼少時より周りの大人から後ろ向きな言葉をかけられていたら最終的に気に自分で自分を見下しまい、ある意味卑屈的に自分自身を差別しているという結果に繫がる。
と、人類学などの真面目な込み入った話ではなく、こちらの生活で本当に聞く話で『お金もちはいつまでもお金もちで貧乏はいつまでたっても貧乏だ』を元に思った事である。

今でもこの世の中では家系、生まれた場所、名前、肌の色の差別が悲しいけれど残っている。宗教によるものもあれば、植民地時代の名残もある。幸いにも現在のタイでは上記の様な差別はなくなっている。
しかし美徳という観点からはある意味で肌の色の差別というと大げさだが、ここ数十年の間色分けがされている。
この色分けはもともと華僑の人の多くがお金もちで良い生活をしていた事への憧れがあり、色白な人への執着が生まれたのだと推測している。
その後、日本の歌手のブームが起こりその数十年後にはKポップブームになったので更に色白、美白への執着が強くなっている。

今では華僑の人がどうのこうのって事は全く無くなっているが、やはり色が白いほうがお育ちが良い為、人付き合いをしてもお金の問題は余り無いだろうなどの思い込みはまだまだある。
あとは簡単な見た目の理由で色白がいいとされている。『白=清潔』ととても単純な事である。この色白ブームは東南アジア全体で起きているある意味文化となりつつあると言えるだろう。

白い人でも清潔でない人も沢山いるし、西洋人でも汗だくで体臭がひどい人も普通にいる。そういう人は例外として目に入らないのである。
色が黒いというだけで両親はどうしてうちの子はこんなに黒いのか?あだ名をクロと名づけて呼んでしまうのである。友達からもクロと呼ばれることもある。
余談だがこの国では陰険ないじめというものがまだまだ少ないので、肌の色でからかわれる事があっても特に大きな事件にはならないし、大らかな子が多いせいか色黒な子達はケロッとしている。

からかわれたり、ツッコミを返したりの積み重ねのせいか?タイのお笑い芸人の多くは色黒な人達である。
もともと色を表す言葉は色を表現しているだけなので、良い意味でも悪い意味でもないが、肌の色を指す時は悪い意味として捉えられてしまう。
そういう風に育てられて来たことで『私は黒いからいけない、恋人が出来ない』など卑屈になってしまう人もいる。卑屈になってしまっては好きになってくれる人も自然と減る。
前向きに自分の持っている良さに磨きをかけていれば必ずその魅力見つけてくれる人に出会える。
色がもともと白い人は恋人候補として白い人を選ぶし、色が白くない人も自分の持っていない色を選んで恋人とするので風潮としては色黒はモテないのである。
色黒が好きというのは少数派となっている。それでも人は自身が無いものを求める事が往々にしてあるので色が黒いのが好きと言う人も沢山いるので世界を広げて欲しい。
事実色黒の人は色が白くなるようにと色々な努力、体臭が出ないように自身の清潔さを保つために並大抵ならぬ努力をしている人も沢山いる。
経済的にゆとりがある人、又は芸能人など顔が命の人達は肌を明るくするサプリメントや注射で色を白くしているので病的に白い人もたまにいる。
もともと日本製の家電や自動車は東南アジアで不動の地位を築いているが、韓国製と日本製のサプリメントや化粧品も近年おお売れである。韓国人や日本人は美肌と謳われ両国から輸入されてくるサプリメントには付加価値が付いている。
色が黒いからと言って不潔な訳でもないし、人によっては色が黒いだけで肌は絹のように滑らかの人もいる。そういった綺麗な色の濃い肌の色を蜂蜜の肌と呼んでいる。とても良い表現で好きである。
昔ながらの血を受け継ぐタイらしいタイ人と言うのはこういった肌の持ち主である。もともと大陸から突き出てきた半島の民族だが色々な人種が混ざり合って今のタイ人を形成しているが、スコータイ、アユタヤーなど古都周辺の中部の人達はまだまだタイ人らしい顔をしていてとても魅力的である。
主題にもどるが、その人個人の考え方を形成しているのは両親やその人の周りの人達である為、自身の周りにいる子供達には前向きな言葉をかける様に心がけている。
あなたがどこの出身であり、どんな家系で、どの色の肌をしていて、どの言葉を話すかは重要ではなく、あなたが何をしたいか、どれだけ自分自身に可能性を見出せ自身の能力を信じるかが重要である、という事を良く話し聞かせているものである。潜在的な後ろ向きな考え方から解放してあげられる実績や言葉を探して積極的に前向きな言葉を注いでいく事が大切と信じているからだ。
もちろん賛否両論あるし、色々な事情もあるが、『お金もちがいつまでもお金もち』はもしかすると可能性を信じ、自身の能力を信じ、それを実行している人が集まっているからかも知れない。『貧乏はいつまでたっても貧乏』なのは自分の可能性に見切りをつけてしまい、自身の本当の能力も判断せずに自分自身を見下して何も出来なくなっているからかも知れないのである。
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