お布施
- 絵空事
- Oct 25, 2018
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Updated: Oct 1, 2020
こちらでは寄付は通常の事であり美徳のひとつとも言える。
恐らくは仏教を介してこの文化がなりたったのではと勝手な推測をしている。
またはもっとも単純な理由『助け合い』の精神から来ているのではないか。

これは物乞いの人達を観察して書いているだけなので、物乞い自体が悪い、するべきではない、という意思は全く無い。
ただ、旅行で来られる人達や、これからタイに住もうと考えている人達への判断材料なればと、勝手なお節介な内容である事をまず理解してもらいたい。
物乞いの人達はお寺の敷地内に多かった。
現在でもお寺で何かの催しがある場合はお寺の入り口付近に物乞いの人が集まる場所や時もある。大概は身寄りのなさそうなお年よりが多い。または体に重大な障害がある人などである。
重大な障害とは例えば、先天的な皮膚の異常があり普通の生活が出来ず仕事にも就けない人、手足が無い人、何らかの疾患がかりその治療費が無く治療費の募金を募る人などである。
何かの行事の機会にお寺に集まるのは、その行事自体が徳を積むための何らかの儀式が行われる事が多い為、その徳を積む行事のついでに寄付をする事でさらに徳を積むことが出来るという考えからからである。

お葬式、出家式(人が大きな徳を積むために家を出て一時的に僧となる)、お寺の改築記念式、棟上、仏像贈呈やタイの仏教文化に基づく行事など色々な儀式があり有名なお寺などでは一年中人が集まる行事が行われている。
またはバンコクの旧市街周辺の大きな有名な寺院の周辺には物乞いの人がいつもいる状態である。(格式高いお寺の周りにはいない)
物乞いの人以外にもお寺に住み込んでいる人もいる。日本語で敢えて言うならば『寺子』にあたる。子供以外にも成長した大人もいる。身寄りがない、住む場所も食べ物も無いという人がお寺に身を寄せている。その代わり境内の清掃、お坊さんの様々な行事の手伝いなどをして暮らしている。
と、もともとは仏教に関わる『施し』から来ている様に思えるのである。

近年ではお寺以外にデパートの周辺、歩道橋、駅前など至る所に物乞いの人達がいる。その昔はタイ人の本当にお金に困った人が物乞いをしていたが、ここ10年位で明らかにタイ周辺諸国の人達が多くなってる。
お年よりは身寄りがなく、それぞれの出来ることをしてそれの対価として寄付をしてもらっている。古典楽器だったり、何かを手作りで作りそれを道端に座って売っている。何かの理由で子供がおらず親戚もいない、という人達がこうして出てきている様に見える。それか趣味で作ったものを売って収入にしているのかも知れない。

こういったお年よりや、何かの重病でそれが目に見える状態で募金を募っている人達に対して寄付をしている人達を良く見かける。困ったときはお互い様という考えかたっだり、いつか自分が本当に困った時に助けてもらえなかったら困るので今のうちに徳を積んでおくという事もある。
それ以外の人達は大体乳飲み子を抱えて駅周辺にいる。実際の親子かどうかも見分けがつかない。どうみてもタイ人ではない人達である。
乳飲み子や1歳程度の子供でも夜中になっても寝れないで道端にいるのもとてもかわいそうなのである。

その昔ニュースになっていたが、物乞いビジネスと言ってある程度の人と乳飲み子を集めて各場所へ座らせる。それからその日に集めたお金を全部かき集めてみなで分配をする、またはマフィアの様な人が集金をしてしまう、という事だ。
実際に座って物乞いをしている人達がどれだけの分配を受けているかは謎であるが、その日その日座っているだけで食べ物も住む所(どんな状況の住まいかは謎)も与えられているのでその日暮らしをしていけるのである。
脚が無い人、体の自由が利かない人も一人で着ていたりするので、もしかすると上記の様なマフィアか、それとも家族が連れてきていて、夜に迎えに来ているのかも知れない。
こういった場所の人達はまだまだ良い方と言える。それ以外にも道端や、病院などで遭遇する場合がある。
全員がウソをついているという事ではないし、本当に困っている人がいるのも事実であるが、判断できないので自分は寄付は断っている。
道端のパターンはこうである。
スリに遭ってしまい帰るお金がないのでバス代として20バーツを下さい、というお願いだたったり、何も言わずに手を出して来て合掌をして拝んで来て『下さい』という顔で訴えて来る人もいる(こういう人は何かの中毒か精神疾患の人が多い)。
普通に歩いていて急に声を掛けられるので少し怖い時もある。この場合は丁寧にお断りをして警察に行った方がいいですよと伝える。その人達は結構めげないので次々ともらえるまで声を掛けてる。
実際の経験では女の人が2人歩いてきて、旦那が暴力旦那で逃げて来たためにお金がなくご飯を食べれません、と言われたので、本当かなと思い20バーツを渡したところ、20バーツでは足りないし姉もご飯を食べていないのでもう40バーツ下さいと言われた。自分もさすがに驚き、そんなにお金上げたら自分もご飯を食べれなくなります!と言って立ち去ることにした。
無視しても罪悪感に襲われる事はない、というのは彼らは断られても次から次へとその人達は声をかけてお金をもらいに行くからである。
または屋外の屋台やレストランでも物乞いの人、または盲目の人(カラオケの機械を下げて歌を歌って対価として寄付金をもらう)、ろうあの人が募金を募りに来る。盲目の人は見た目で分かるので少しだが寄付をする。
ろうあの人は本当かどうか分からないので丁寧にお断りをする。それ以外のただの物乞いの人の場合は苦笑いを浮かべて首を横に振って断っている。

この国では盲目の人にとってはまだまだ暮らしにくいのが現実である。歩道もろくに無ければ、ましては誘導線もろくにない。一人でどこかへ行くには至難の業である。電車の駅では警備員さんが誘導の手伝いをしてくれるが、駅を一歩でたらもう杖と周りの気の優しい人達に頼って進んでいくしかないのである。
駅前でカラオケの機械を使ってカラオケをして募金を募っている盲目の人もよくいる。強い日差しの中立って募金を募っているので真っ黒に日焼けしてしまっているのでとても大変である。
ただの物乞いの人で両足、両手が揃って健康そうなのに夜な夜なレストランに現れては物乞いをしている人にお金を決してあげない。あげてしまっては、その人はますます仕事をしなくなってしまうと思うからである。アジアは景気が悪いと言っても仕事は選ばなければ必ずあるはずと信じているからだ。
それから、そういう人の中にはドラッグ中毒やアルコール中毒の人もいるので、そうやって物乞いをして集めたお金で薬やお酒を買うのでお金を上げること自体その人をだめにしてしまう。
病院のパターンはこうである。
病院の会計付近にそういう人はいる。普段全く病院に行かないので2度しか遭遇した事はないが、2度ともに似たようなネタであった。
家族が重病で手術をして回復したので今日退院をするのだが、治療費がどうしても足りずその足りない分を支払わないと退院が出来ない。このまま退院出来なければ入院費がかさむ一方なので少しでもいいから助けて欲しい、または治療代を払ったら帰るお金がなくなってしまった、と言われる。
初めてのときは、まあしょうがないと思いほんの少しだが寄付をした。その後何も気にせず病院の真隣にある大型スーパーで買い物をして帰ろうと思ってよったところ、さっきの寄付金を募って来たおじさんがカートいっぱいに買い物をしていたのである。
思い切り目が覚める瞬間であった。
と、ここまで書くと一体物乞いとはどれだけお金を集められるのか?と疑問が出てきて知りたくなってしまう人もいるだろう。ちょうど自分の友人がとある事で個人の募金活動を始めたので参考になる。
友人が個人的な事情でまとまったお金がどうしても必要になり借金をしたので、その返済の為本業以外の時間に街角で募金を募るためのパフォーマンスをしてお金を集めている。パフォーマンスと言っても音楽をかけてそれに合わせて簡単に踊っているという程度。顔も恥ずかしいので思いっきりハローウィーンの様な化粧をして派手な衣装を着てしている。じっくりみても本人とは分からない様になっている。
この友人は募金を募る理由を書いた手作りの募金箱を持って行っているので、その事情を見て募金してくれる人が多いのかも知れない。
現在バンコクでは労働基準法で1日辺り300バーツ強が最低と定められている。オフィスの人などは400から500バーツを1日にもらう。
上記の友人は1時間程度パフォーマンスをするだけで千バーツから千5百バーツ集めていた。1日と言わず1時間程度で2日から3日分のお金を稼ぎ出せてしまったのである。
最後にもし寄付する場合の注意点。
お財布からお金を出すようにはしない。かばんのポケットやズボンおポケットに20バーツや小銭があればそこから出せばよい。人によってはお財布の中身を見てお金を持っていると判断する人もいるかも知れない。寄付は気持ちの問題なので金額はあなた次第である。
公衆の場でお財布を開くのは良くない。周りにどんな人がいるか分からないし、外国人、日本人はお金もちだ、という固定観念がある人がいるので安全な行動とは言えない。
普通は話しかけられないが、話しかけられた場合は長話はしない事。もしタイ語の会話の内容が分かれば思い気持ちになるかも知れないし、募金を募っている人が誰なのか分からないので親しくする必要はない。仲良くしてしまいあとからお金の問題に巻き込まれてしまってはもともこもない。
一時期話題になっていたが西洋人の若者が色々と理由とつけてバンコク内のデパート周辺で家に帰るための飛行機代集めという名目物乞いをしていた。そしてそれを youtube に載せていたのだが、実は面白半分でしていただけで実は特にお金に困っていた訳でもなかったというタイ国民の優しさを踏みにじり、憤慨を買う悪ふざけとなった。

どの国、どの場所にも悪い人もいれば良い人もいるので、自分自身でそれを見分けられるようになれればいいし、もし見分けがつかない場合は自身の心に従った行動をとればそれで良いだけである。
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